青年の思索のために。
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(第一幕) ある都心の 私鉄電車の中で
私の向かいに座った30代前半位の男。
携帯電話を取り出し、どこかにダイヤルし、…しゃべりはじめた。
そして、いきなりでかい声をだして叫ぶ。
「もう顔も見たくないな ムカツクな、甘く見やがったな
「先に俺が約束してたのに その日は空けてたんだぜ
どうやら、ドタキャンされた相手へ ウラミつらみを述べていたようだ。 延々と。
何度も同じ単語(言葉)を繰り返すもんだから、内容を覚えてしまった。
うるさかった。
電車内で、緊急性もないのに、携帯電話を用いて怒鳴る行為は、無論 マナー違反だ。
迷惑だから である。
いや、迷惑だから、というよりも
「自分の事しか考えていないから」、
「他者への配慮を欠くから」、マナー違反になる と言った方がいいのかな。
ある時間に、一つの個室たる車内に乗り合わせた以上、共同して快適に過ごそう、という意識に何でならないのか? 本当に不思議だ。
おそらく上記の携帯男は、短時間だし、しかも ここにいる車両の人物達とはもう二度と会うこともないだろうし、まわりには曙やボブサップ(古い?)みたいな 強そうな人もいないし、いいか、と考え、迷惑をかけたって構わないと判断して 故意をもって 上記行為に及んだと思われる。
なんて、自分勝手なんだろうか。
この携帯男に限らず、今までそういう「無配慮人」達に何人も接してきたが、中には自己の行為によって、他者が 不愉快な顔・困った顔 をしているのを見てニヤニヤして喜んでいるモノもいた。
この点、
故・本田宗一郎氏は、自己の技術をして他者を喜ばせるのが自分のヨロコビだ、とおっしゃっていた。これは、言わば「配慮人」である。
上記「無配慮人」と対極の考え方であろう。 私は宗一郎氏に賛同する。
それにしても、上記のような積極的な「無配慮人」になるモノもいれば、宗一郎氏のように考えて立派な功績を残す「配慮人」も多数おられる。
このように 全く正反対な人格が形成される理由は、なんなのだろうか??
そんなことを考えた晴れた日の午後であった。
(第二幕) 土建屋が マンションを建てまくる
〜第一場〜
マンション建築は、マンションに係わるすべての関係者にとって とてもカネになるらしい。
だって どこに行っても、マンションだらけじゃないか。
これは居住の確保という必要性から建設されているというより、儲かるから作っているということに他ならないだろう。
用地取引屋。鉄鋼などの資材屋。設計屋。電気設備屋。内外装のあらゆる部品屋。工作物請負屋。完成物件の販売屋。近くにマンションができれば周りの商売人達。。
みんな ウハウハだ。
我が家の近所は、以前は高層建築が御法度の、落ち着いた文教地区だった。
が、近年 それが解除された。
そうしたら、待ってました とばかりウジャウジャ建ち始めた。
マンション建設ラッシュだ。
〜第二場〜
土建屋の人々は、
他との調和を考えずに、かなりテキトーに建築するようだ。
私の周囲の土建屋も例外ではない。とにかく ひどいのだ。
☆事例 その1
まず、建物の色合いがムチャクチャだ。これはひどい。
茶色の隣に 青色の建造物。その隣はレンガ仕立て。その隣はカラシ色と黒のタイル貼り。。
また、建造物のカタチも統一性なし。フェンスの有り、無し、色も素材も何でもあり。
さらに、建てる向きもバラバラ。高さ、建物同士の間隔もマチマチ。
とにかく、幼稚園児の積み木よりもヒドイのだ。酷い。
これは、各自の施主が自分の利益だけ、自分の事だけを考えてやってるからに他ならないだろう。
☆事例 その2
つぎに、環境面。これもひどい。
今までは、結構ゆったりした住環境だった。豊かな森の茂る小さい山があったり、天然の梅が咲き並ぶ畑、公園みたいな広い場所や、桜並木が両脇に続くキレイな小道、河川などがあって 散歩・散策するのが楽しいところだった。
それが、山はすっかり削り取られ平地になった。驚いた。
畑、広場は住宅用地になり、小道は歩行者も歩くが乗用車もカッ飛ばせれる共用通路になった。河川は川面が見えない位網目の細かい防護柵が張られた。
せっかく新たにまとまって建造物を作るのだったら、よく業者間で話し合って、従前の土地の形状や環境を生かすような工夫をすべきだったのではないか?
これは、各自の施主が自分の利益だけ、自分の事だけを考えてやってるからに他ならないだろう。
残念でならない。
☆事例 その3
さらには、従前の 古くから居住していた地域住民を無視しているのが問題だ。
まず一気にアパート・マンション群が出来たせいで新住民が数千人規模で増加し、付近の一般道路が慢性的に渋滞するようになった。電車もいつ乗っても混雑するようになったし、路上駐車も飛躍的に増えたし、ストアや公共施設もいつも混雑状態になった。
しかも、土地の課税評価がガーンと上がって、固定資産税の負担もかなり増えた。
これは、従来から住む人々にとっては認容の限度を超えていると思う。
〜第三場〜
それにしても、自分達は建物を作るだけか?
土地を削って、木々を倒壊し、調和なんて全く考えずに、
建物をドカンと建てたら、ハイ次の土地。
次はどこだ?
どこを崩すんだ?
こんな漁り(あさり)的・探索的な活動を許していいのか?
よくまあ、配慮すべき様々なことに配慮せずに アレだけのひどいことができるな?
自分の事だけ 他人のことなんてこれっぽっちも考えてない →(自作曲・オンリーより)
そう。「金儲けのことしか、自分達の事しか考えていない」のだ。
『あとは、お前らで何とかしなよ』
『不都合なら行政に頼れば? だっておれ達ゃ土建屋だもん』
そんな声が聞こえるぜ。
とはいえ、土建屋の組織の中にも抑止的な人もいるだろう。
もっと調和を大切にしませんか、とか、環境面に配慮しましょう、とかを 上司に進言したり、計画をプレゼンテーションしたりするわけだ。
しかし、そんな健全な人は 出世しないんだろうな。
ガハハ野郎※が出世するのだろう。
【ガハハ野郎】 がははやろう 図々しくて、尊大で、無遠慮で、他者のことは全く考えない、自分の利益のみ追求することに満足を見出すタイプの人間のイメージの総称。「費用対効果はどうなの?」などを口癖とするが、実は内容は良くわかっておらず、自己の失策は常に他人のせいにする無責任さも併せ持ち、反省することを全くしないのにもかかわらず反省を良くしていると勘違いしているタイプ。飲み屋に行くと妙に元気がよく、その多くはガハハと笑う特徴を有するがゆえに この名前がついた。
〜第四場〜
もうマンションなんか新たに作る必要ないんじゃないかな。
ちなみに最近、京都に行って驚いた。
十数年前は一番の高層建造物は「東寺の五重塔」だった。これが京都の特徴でカッコ良かった。(京都タワーを除く)
しかし、いまやマンションだらけ、高層建築だらけになっている。これじゃ東京と、な〜んも変わらんがね。
税金収入が欲しいとか、京都市の経済の地盤沈下を防ぐ、とか各種要請は分かるが、何とかならなかったのか、と残念に思う。
この点については、ローマなど外国の都市なんかとても上手く歴史との調和を図っている。
だから京都も、歴史との調和を図ることも 決して不可能ではなかったはずだ。
いや、日本の土建屋は しょうもないガハハ野郎ばかりだから無理だったのか。。
札幌も同じ状況だ。
とまあ、今や どの都市に行っても同じ様相になってしまったようだ。
とにかく、土建屋のみなさん。
もっともっと成熟した頭脳を持ってくれませんか?
建物を建てるだけでなく、複眼的な目と、広い思考と、柔軟な優しさを持ってください。
そのためには、もっともっと様々なことを勉強してくれませんか?
高層建築物が近代化のシンボル、みたいな考えは もうやめにしてください、
…と言いたい。
〜第五場〜
ついでに言うと、東京・汐留地区のビッグ再開発プロジェクト「しおサイト」だが、出来上がってみれば、これまた無秩序で、知性も品位のカケラもなく、ゴミゴミした感じの『幼稚園児の積み木』地区になってしまった。お台場地区も同じだ。
横浜・みなとみらい地区はちょっぴりマシかも。
それにしても、事業を認可した、統括する担当係官や総合責任者は何をやってたのだろうか?
さらに、計画推進した人間達は何を考えていたのだろう?
もしや、何をしたらいいか分からなかったんじゃないか。
ともあれ、上記のようなビッグ開発プロジェクトにおいても土建屋達は自分の利益しか考えていないのだ。
また、担当役人も ただハンコを押すだけ。
つまり自分のこと(給料)しか考えていなかったのは間違いないだろう。
→ONLY(オンリー)
このように自分達の利益のみを追求する土建屋達、および協働した役人連中の罪は…重いと思う。
日本がいつまでたってもソフト面で熟成が進まない最大の理由は、土建屋の跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)にあるといっても過言でないかもしれない。
もっとも、実際に建築現場で働く人々は気象は荒いが結構いい人が多い、と付言しておく。
【 補遺 】
建物上限10階、点滅広告ダメ…京都の新景観条例成立
「古都の景観を保全するため、京都市議会は13日、都市部では異例の厳しい高さ制限(最高31メートル、10階建て相当)と、屋上看板や点滅電飾広告の全面禁止などを含む新たな景観政策を盛り込んだ関連条例案6議案を全会一致で可決した 」3月14日3時11分配信 読売新聞
これは相当評価できると思う。
よくぞ地元の経済団体(主に土建屋達)のさまざまな追求を回避し、このような条例成立にまで漕ぎつけえたものだ。
とはいえ、やはり 10階建てまでは許す、というのが甘い気がする。が、これはギリギリの着地点だったのかもしれない。
また、将来的に この素晴らしい条例内容を保持・保全しつづけるのは大変だろう。
あわよくば金儲けのために改変を目論む連中はかなり多いだろうから。
したがって、京都の景観保持のために全国の応援は必須なのではないか、という気がする。
交付金を増やすとか、京都の経済振興のための支援策とかの、国のパターナリスティック(paternalistic…温情主義的な)プランが望まれる。
そうでもしないと、自分の利益のみしか考えない地元の経済団体(主に土建屋達)が『京都市の経済地盤沈下防止』を名目に、また勢いづいてしまい上記条例を廃止に追い込んでしまうだろう。
京都は日本人みんなの宝だと思うのです。
そんなわけで京都景観保持のため、みなさんも京都に行ったら、「地元の」商店でたくさん お土産を買ってください。
私も千枚漬をいつもより多く買うことにします(笑) しかし千枚漬は高いよなあ、ウマイけど。
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