青年の思索のために。

ある青年画伯からの回答 


こんにちは。


先日「ワールド・トレード・センター」という映画を観ました。
あの9・11テロの日、警備のためワールド・トレード・センターの中にいて、ビル崩壊に巻き込まれ、奇跡的に救助された二人の警官とその家族のお話です。
とにかく「すごいことがあったんだなあ」と、ただただ度肝をぬかれました。
そして、一個人一家族にとっては、あの事件は、とてつもなく大きな恐怖だったんだ、と初めて実感できたような次第でありました。

あの事件の後、こんなことがよく言われていましたね。
「アメリカという大国に虐げられた人々(おもにイスラム教徒)の怒り・憎しみは大きい、それがあのテロにつながったのだ」と。
僕もそんな風に考えていました。

でもその考え方って、大きく間違っていたんですね。
アメリカという大国に虐げられた人々の怒り・憎しみは大きい。でもだからといって、あのようなテロを起こしてもいい、ということにはならないのです。
良識的なイスラム教徒は、9・11テロをはっきり批判し、あらゆるテロや暴力を拒否しています。
あのテロはイスラムの声を代弁していた、と考えることは、イスラムに対しても非礼だったのです。

9・11テロの被害にあったアメリカ人は、イスラムに物凄い怒りと憎しみを抱いたはずです。
もし機関銃があればイスラム教徒を手当たり次第に撃っていたかもしれません。


しかし、どんなに大きな怒りや憎しみがあったとしても、絶対に銃を撃ってはならない。
銃を撃つ者に共感してはならない。
これは全世界の人々が原則にしなければならないこと、ですね。


そんなことを考えました。


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