青年の思索のために。

ある僧侶見習いからの回答 

「寂しさとの戦い」

人生は寂しさとの戦い、といっていい。
寂しさに負けるとやられてしまう。

世間で楽しそうにしている人々も楽しいのは一瞬。
楽しさ、というものは持続できないものだからだ。
楽しいと更なる楽しみを追い求め、
今の楽しさでは足りなくて、もっともっと、楽しみが欲しくなる。

そして、それが満たされないと「自分は不幸だ」と思う。
はたから見れば、彼は(彼女は)十分に満たされているというのに。



まあ、確かに。

知り合いからの温かい言葉、
異性からの甘いシンパシー、
見知らぬ誰かからの心からの同意、

そんなものがとても欲しい時がある。
そんな時、、寂しくなる。


しかし、だからといってそこで寂しさに負けると
よからぬことを考えてしまう。
寂しい時は、つまらんことを考えてしまうんだ。



じゃあ、どうすればいいのか。

そんな時は「何も考えない」のが一番だ。


でも白痴になれ、と言ってるんじゃあない。
「考えれるけど、考えない」というスタンスが大事だ。

かの剣豪、宮本武蔵はたった1人での修行中、
やはり、とても寂しくなったそうだ。

そんなときはひたすら、木彫りの仏像を制作していたそうだ。
コツコツと。


通常人は木彫りなんか出来ないだろう。

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僕は、修行の初めに、三つの行いの遵守を誓わされた。
ひとつは、御仏と今お世話になってる寺への尊譲。
ふたつは、経典をたくさん読み、理解し、覚えること。
みっつは、乞食(こつじき)。

みっつめが大事で、これは与えられたものの中で満足を得る、
というものだ。

水は、毎日ほぼコップ一杯分しか与えられない。
これで顔を洗って、歯を磨いて、のどをうるおす。

食事は、最初の三ヶ月は、物乞いで頂いたものしか口に出来なかった。
これは案外、というか、かなりつらかった。

でも、与えられたものの中でいかに満足を得られるか、
ということが良くわかった。

つまり、いま与えられたものの中で、いかに完結させるか、
というのが大事なんだ、としみじみとわかった。

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与えられたものの中で満足を得る。

これは、人付き合い、仕事、恋愛、すべてにおいて応用できる、と
思う。

多くを望みすぎるから、寂しくなる。


寂しくなった時。
多くを望んでいないか、これだけをひたすら考える。

あとは、何も考えない。
世間や、他者と比較をしない。

これで寂しさに負けることはなくなる。

そうすれば、よからぬことを考えずに済む。
したがって、万一の事態が回避できる。


おそらくそういうことなのだろう。


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